鉄道

昨夜も旅行の報告会で本日は二日酔いでした。

宿のすぐ近くに駅があった。何のことはない、ムンバイの先端までバイクで往復しなくても鉄道を使えば良かった。どうも旅勘が鈍ってきているな。

昼間は流石にこれほどは混んでいなかった。落ちて毎年膨大な死者が出るそうです。

まずは切符を買う。上級カーストか?たまに割り込む奴がいる。

私は料金が分からないので、高額紙幣を出したら「1等か?」「2等です!」3度も聞かれたので最後に「1等です!」と答えてしまった。10倍もするのですがJRよりずっと安い。

5分に一本ぐらい来ます。

若い方は止まる前に降りるのがオシャレなようです。ドアは開きっぱなしです。

女性専用車両もあるようです。

座席に荷物を置く方・皆無。

窓はこのようになっています。雨季はどうするんじゃろ?

どうやらここが1等のようです。位置が全然分からん。

ちょっと大きな駅のホーム。

どこでも犬は寝ています。人も寝ていますけど。ゴロゴロ。

野菜を運ぶ。てか、美人のおねーさんの髪のボリュームが凄い。アジャンターの女神と同じじゃ!

立っている2人と座席の4人はインド鉄道名物のオカマ。車内で手をパンパン叩きながら(厄を払っている様子)頭をツルッと撫でてくれます。

立っていた向かいの中学生がサッと紙幣を渡したので、俺も慌てて差し出したら中学生にクスッと笑われました。どうやら縄張りは狭いようで短い区間で乗り降りします。ケンカしたらボコボコにされそう。

鉄道旅も面白そうですね。


井戸

インドから帰って、全然新聞を読まなくなったが本日は少し読んだ。

マンドゥの村を北に歩くと・・・・

何だか騒々しい一角がありました。

井戸です。この円筒が下まで抜けています。恐らく500年ぐらい使っています。

ここに居ると、次々に美女が訪れます。

まあ、小っちゃいのもいるけど。

この壁の出っ張りを登って・・・・・何故に階段ぐらい作らないかと思う。

毎日の事だろうに。

たまにはバイクのお兄さんも来ますけど。

撮影を頼むとちょっとポーズをとってくれました。しかし、水は重く、すぐには止まれなくて気の毒な事をしました。

付近の階段井戸。彼女達はバケツで汲んでいるのですが20m位あります。電動ではないにしても、昭和の手押しポンプぐらい設置したら良さそうなものですけど。インドわぁ、不思議な事が多い。


バオバブ

本日は確定申告をした。いつまでやらなくてはならないのか?もう、脳が壊れかけているのに。

いつかは見たいと思っていたバオバブがマンドゥに生えていた。マダガスカルのよりは不格好だが迫力十分。ググってみるとオーストラリアにも自生するようです。

幹を叩くと石のようでした。

ゆっくりすればよかったマンドゥ。

アンコールワットに生えていたのもバオバブか??ガジュマルなのだそうです。

実も売られていた。買って帰るには重過ぎるし・・・・・

20ルピーで乾燥させたものを食べてみた。ガリッ!

噛むんじゃなくて、飴のようにしゃぶるのだと分かった。ヨーグルトのような感じです。

1cmほどの種が残ります。

梅雨時に蒔くと発芽するようです。でも大きくなるには1000年は待たないといけない。


塩地材

たまには木工の話。

秘蔵の柾板。シオジという材になる。タモによく似ているがもっと上品です。もう、市場には出回らないし、判別できる人も少ないと思います。

目が込んでいるので比較的軽い。テーブルにするつもりでしたが、最近その注文は殆どない。死ぬまで持っていても意味がないので、今回の注文で使うことに。

ちょっとした箱物ですが、材料は結構必要です。6面を覆うから。

削ると上品な縮み杢が現れた。祭器のような注文なのでこれ以上のUPはありません。

まだ、共木の塩路はテーブル一台分は残っていますので、テーブルの注文・お待ちしています!


マンドゥ

成田空港で薄着で吹かれたせいか?飲み過ぎか?ずっとお腹の調子が悪い・・・・が、本日は久々のSUPトレーニング。河原は菜の花が咲いて春近しという感じでした。

マンドゥは今では小さな村ですが、14世紀から栄えた王都です。標高600メートルの大地の上にあります。奥に見えるのがそう。まずまずの峠道を楽しめます。殆どは凸凹ですけど。

この家なんかは豪邸の部類に入るかも?

ノン・ベジ料理で食べたのは殆どチキン。たまにマトン。肉は大きく見えても全部骨ごと切断しています。

牛は立派な面構え。ミルクやヨーグルトを作ります。聖なる動物で傷付けることすら出来ないのですが、実際はインドは牛肉の輸出量は多いのだとか。

この棒で群れの幅を調節するようです。

宮殿全景。

反対側から。

マハラジャたちはこの風景を見ていたのか?しかし、エアコンもないし、美女にクジャクの団扇で煽られても、冷たいビールとどっちがいいかは微妙。

泳いでいる方もいました。

井戸を修復中。

サボっている方。

雨季には水を張るのか?

マンドゥは落ち着いた村で、2泊したけど、もっとゆっくりした方が良かった。バイクで点在する遺跡を巡るのにはピッタリです。また行くにはハードルが高過ぎるな~。

宿は向かいのバーから酒を買って来てくれて、こんな所で飲み食いさせられた。
「宗教上の理由からですか?」「いや、ファミリーレストランなので。」

研修旅行中の女子大生。極めて聡明であった。


アジャンター石窟群

今回の旅の一番の見所かもしれない。

自称日本語ガイドが売り込んできたが、美大生だから必要ない。

全景。エローラと同じく岩盤に穿たれてます。

有名な第一窟の壁画。ブッタを守護する守門像と言われています。残念ながら肉眼でもよく見えないほど薄暗かった。ライトを持参すべき。ストロボ・3脚の持ち込みは禁止です。

ここは規模が大きいが、断層があったため未完のまま放置されたそうです。

見所一杯です。

残念ながら状態よく残っている壁画は僅かです。

やっぱり登ったり下りたり。

各部屋にいらっしゃいます。

ストゥーパの窟。大小さまざまあります。

暑いので保安の方も適当です。

エローラより彫刻群は充実しています。

UPの写真。

誘いますね~!

近所にあれば通うと思います。

連泊して2度見しても良かった。


ルート

昨夜、インド旅行の報告会をしたら「地図が出てないのでどうもイメージが湧かない。」という話が出ました。

こんな感じですかね。ムンバイから時計と逆回り。1690㎞と出ています。

でもインドは広いのでごく一部を回ったに過ぎません。

バイクを届けてくれた二人。左右のミラーは闘うために短いようで後ろが良く見えません。

拡大すると7814と読めます。バイクのコンディションから言って巻き戻されていると思います。一回転しているのか?

砂(というより土埃)まみれになった最終日。2000キロちょっとの走行でした。

衣類は途中でクリーニングに出したものの(洗剤を使わないのか?キレイにならなかった事もある。)帰宅して洗濯すると底に土が残っていた。


焼成レンガ

インドネタはまだまだ続きます。他の国にない驚きに満ちていたと言えましょう。

あちこちでレンガ造りを見ることが出来ます。というか、輸送のために道淵にあるのだろう。大規模なものから、このような零細な事業者迄、全土で10万もあるという。

こんな感じでバイクを止めて。流石にスズキは幅を利かしています。スイフト系多し。

大変な労働だろうにカメラを向けると挨拶してくれます。

土こねて、型抜きして、乾かします。

ここでは木を突っ込んで焼くようですが、大規模工場では石炭を使うそうです。スモッグの原因の一つ。

川のそばにもありました。

1個数円なのだそう。品質にはムラがありそうですね。消費も近場でされるのでしょう。


アウラカンガーバード

エローラからアウラカンガーバードまでは30キロの近場。途中にダウラターバードの砦があります。インドでも屈指の規模という。

ハァ~、あそこまで上るんかい。高知にも廃墟となった洋風古城レストランがありますが似てるな。

やっぱりおります、遠足の子供たち。脚長!

立派な門。

一番過ごし易い季節でも、日差しはややきつい。夏は死ぬな。50℃が普通とか。

夏の雨期には満々と水をたたえるのか?

大砲コレクション。でも、落ちなかった砦は少ない。

何所も柱、柱です。

これ掘るだけでも大変ぞなもし。

多分、戦の時には落とされるであろう小さな橋を渡って・・・・・

核心部には堀が巡らされております。

岩に穿たれた、曲がりくねって狭いトンネルを通らないと行けません。

出たど~!

風が気持ちよかった。

外側にも城壁は張り巡らされております。

近所にあればキャンプもしてみたいが。

アウラカンガーバードの街で一泊してから朝一でミニ・タージマハルと称される廟へ。

一番乗りだった。ホテルから15分ほど。こういう時は確かにバイクは便利です。

ミニといっても十分でかい。

インドは過酷で広いせいか、外人観光客は少ないです。


エローラ石窟群

エローラとアジャンターは今回のインド旅行のハイライトです。

ホテルから石窟群を望む。

まずは昼飯。中華風焼きそばを頼んでみた。肉が見当たらないのでVEGE仕様なのか?メニューには肉ありと、なしに分かれています。このように半分ほど皿に盛ってくれます。面倒くさいな。

ほ~ら、美人さんたちの遠足か?

まずは有名なカイラーサナータ寺院から。ヒンドゥー教です。エローラは他に仏教・ジャイナ教の石窟がありますが、私には違いは分かりませんでした。

756年から100年かけて岩をコツコツ掘って完成させたものです。当時の寿命が30年くらいだったため、何世代かかったのか?この巨大な空間は岩だったのですよ。

漆喰に彩色が残っている部分。当時は日本の伽藍のように極彩色だったのか。

アンコールと違って硬い岩なので丸彫りは大変だったと思います。その割には劣化は激しい。

岩塊の縁から。気の遠くなる作業やな。

まあ、このテンコス(土佐弁で天辺)から掘り下げていったんでしょうけど。

デカンの大地を望む。

未完成の仏教石窟群。仏教がインドで衰退した時期だというが、流石に途中で嫌になったのか??

エローラ「百聞は一見に如かず」でございます。