NHKの日曜美術館で昨年98歳で亡くなった彫刻家・佐藤忠良をやっていた。
忠良先生は隣の造形大の教授だったため、多摩美の彫刻科でも時々講義をされました。格式ばったものではなく、彫刻仲間に呼ばれてのことだったと思います。ざっくばらんなお話で、他の学部の生徒やポーズをとってくれるモデルさんにも人気でした。
大事な話は覚えてないのですが、先生が過酷なシベリア抑留生活で生き残れたのは“春画”を描いて提供したからなのだそうです。春画を描いていれば労働はしなくて良かったらしいです。NHKでは言わなかったけど。ポルノもない当時、また、そのような絵画のないソビエトにおいて、相当なものだったに違いありません。詳しい話を覚えてないのが残念です。
* 忠良先生の作品では、カンカン帽をかぶって股を広げて座っている女性像が有名ですが私は好きではありません。もっと素朴な首(頭部)なんかに良いものがあるような気がします。
ここからは、叔父さんに聞いた話。
満州の軍需工場などは、ソビエトに接収されており、優秀な技術者や研究者は特別待遇を受けたそうです。
屋外の強制労働はなく、暖房の効いた個室で作業をさせられたそうです。そのうち、忙しいわけでもないのに、超美人のアシスタントが付くそうです。しかも、ミニスカート。当時あったんかいな?
狭い部屋で旋盤加工なんかするわけですから、見るとはなしに視線がいくと・・・・・・なんと、ノーパンなのだそうです!・・・・・・まあそうなると、大抵の男がどうなるか想像がつきましょう。
国際法に違反したシベリア抑留ですが、如何にソビエトといえども永久に留めておくことは出来ません。こうやって帰化させたわけですね。ウィキペディアにも恋仲となって帰化した例があると、ちゃんと出ております。なんか、捕虜も悪くないような気がしますね。アシスタントが来る前に、合コンとかあったら、もっといいですね。でも、妻子がいた人もいるんだろうな。
私はロシアには行ったことがありませんが、「坂の上の雲」なんか読むと、ロシア人にはアメリカ人よりは好感が持てます。政治家は別ですが。
今日の話は下品ですが、ためになったと思います。
80年代訪朝が盛んだった頃、自民党議員が北朝鮮で何をしてきたかという話もありますが、またの機会にします。