昨夜は今年のアートキャンプの出し物の打ち合わせという名目で高知市内に飲みに出掛けた。
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ルイビトンの建物はしばらく借り手がなかったが、コンビニになっています。
いつもの「おおい」へ。カツオと・・・・
カツオのたたき等で熱燗をしこたま飲む。
やっぱりちゃんとした店は落ち着くな。
同行のTさんは行きつけの店なのに「カツオが弱っていた。」と俺に文句を言っていた。
味は良かったが確かに。でも、そこまで言わなくとも。
「良いカツオがなかったら店開けるな。お品書きに書くな!」とでも言いたげな土佐の酔っ払いです。恐ろしいですね。
こういう屋台も好きよ。それほど暑くなかったし。
Tさんの要望で裏路地を2軒目に向かう。
看板もないバーへ。
途中からアートキャンプのU校長も合流。
ワインを頼んだら、甘くてなんか懐かしいな。ポルトガル産でした。
マサチューセッツ州出身の女性。
「高知には海も山もあって変化に富んでるけど、マサチューセッツって何もないんじゃないの。若者は何して遊んでるの?」
「ドラッグ。」 「・・・・・・・・・・・・御見それしました。」
本日は二日酔いでしたがちゃんと仕事もした。
錆入れ
原発の裁判、「絶対安全」と言っておいて「想定外」はおかしいじゃろ。でも、どこの国でもそうかもしれないけど、お偉方が罪に問われることは少ない。
李朝文机の注文がありました。
設計は14年前です。今回見直すと天板のピン角が気になります。
画像ソフトで丸くして、お客様に見てもらいましたが「部屋の雰囲気からするとピン角が良い。」とのこと。俺は丸い方が可愛くて好きだな。
拭き漆をした後、錆入れをしました。家具屋などでは、いきなり錆入れをするところもあるらしい。合理的ではありますが良くはないと思う。
錆を落とします。これで導管が埋まります。宮家の結婚祝いならこの、作業を数回繰り返して完全にフラットに仕上げますが、普通はそんな面倒なことはしません。
その後、一回目の拭き漆を済ませた状態。次に慎重にサンディングして、漆を重ねてゆきます。簡単に済ませても十分面倒くさいです。
The wallにも脚が付いた。
小さな冒険
都議選の大敗に自民党も流石に泡喰ってるだろうな。受け皿さえあれば自民に入れる人は少ない。しかし、小池チルドレンが使い物になるかは別の話です。
以前書いた謎の階段。
グーグルマップでなんとか位置を確認しましたので、先日の配達の折探検してみました。
立ち入り禁止のようですが、この道を進むと・・・
すぐに歩行困難になり水路に降りました。昔は身軽でしたがもう気を付けないと。
なんか~、巨大に見えた階段も大したことなかった。秘密をあばいても幸せになるとは限りませんね。
今度は水路を昇ってみた。大きな玉が転がって来たらどうしよう。
水の流れは凄いものですね。ちゅーか、土建屋もこんな事ではいかんじゃろ。
結局、車を置いた橋の下へ戻りました。奥にラピュタ的な構造物が見える。
おお!奇怪な。
砂防ダムでした。緑も美しいわ~。
仕事場の横にこんなのがあれば・・・・汗かいて飛び込んだら最高だろうな。
階段の下はダム湖であり、こんな大掛かりな仕掛けで土砂の流入を抑えているのです。
まあ、そうでなければ辺境の地に金は落ちないのでありますが。
電力・土建屋・政治家と票と金が回る日本のシステムです。
黒田辰秋の円卓 その後
蒸せますがそれほどでもない。でも、工房はエアコンをかけています。
難儀して仕上げた辰秋の円卓ですが、使いもしないのに部屋にデンと置かれています。
何処にいても目に入りますが、やっぱいいわ~!
存在感はあるけど嫌味がない。気持ちがいいんです。
考えてみたら自作の家具はベットとパソコンの前の椅子しかないな。
デスクなんかもちゃんとしたものを作ったらグッと雰囲気が良くなるんだろう。
ところでこの円卓は天板が反っていたのですが、辰秋の作品にはそういうものが多く見られます。造形は名人でしたが材の乾燥には疎かったようです。
これは多分、辰秋クラスの名人ともなれば京都の銘木屋で金に糸目をつけずに何十年と寝かした材を買えたからでしょう。多分丸太買いして製材して乾かすなんてやった事がないのではないでしょうか。黒沢監督の別荘の丸テーブルもナラの生材で苦労しています。
上の円卓も木取り的にはかなり無理があります。狂いにくいヒノキを使ったとしても。次回はこれで初宴会したらUPします。
高崎元尚新作展
今日も過ごし良い。
県立美術館でやっている、恩師の高崎元尚先生の展覧会に行って来た。
これはスレートを壊した作品。
こういうのも。
展示が、も一つだったレンガの作品。
圧倒的なブロック破壊。
奥の展望台から眺めていると目頭が熱くなるな。
実は1週間前の会期中94歳で亡くなった。土佐中高の教師をしながら現代美術を発表し続けていました。
私は受験前には職員室でデッサンを習っていた。ヘビースモーカーの先生の机から両切りのカンピーを失敬して吸っていたら急に戻って来られた時にはビックリしたな~。カルトンの裏だったのですがバレバレでした。そうゆう事には興味がなかったようです。
最初の会社を辞めてアーティストを目指していた時、学校を訪ねたらまだいらっしゃって「俺はもう定年5年も過ぎてるんだけど代わりが見つからんかった。春からお前がやれ。」と言われたのでした。教職免状持ってないんですけど。
結局3年しか続かずに不義理でした。でも、まあ、何とかやっていますよ。合掌。