暖冬のせいで本来春咲くはずのオンツツジが開花し始めました。
多分全部は咲かないと思いますが。
この椿も例年より満開が早いと思います。
蝋梅はいつも通りか。
多摩美は最初から弩派手な女子が多いですが、地味な女が4年生の頃に急に化粧が濃くなったりすることがあります。
これを「遅咲きの狂い咲き」と言ってあまり良い事ではないようです。
入野の「8の字」が諸般の事情により年末で閉店したのにガッカリしていたら、
当ブログでも御馴染みの「レストラン三木」。 マジかよ、知らんかった。
知っていたら昨日寄ったのに。でも、予約で満杯だったらしい。
シェフは東京出身で「ホテルオークラ」で修行、長男誕生を機に1986年奥様の故郷で店を開いた。当時は本格洋食は衝撃的だったらしい。今食ってもビックリだもんな。胃袋がマッタリするよ。
以来48年味を守り続けてこられてのですが、体力の限界で閉店を決めたそうです。
若いコックもいて当然継ぐのだと思っていましたが・・・・・・・・だから美味いものは一期一会ですよ。本当に!
「やまぶき」閉店ほどではないが、困ります。
でもね~、ここ数年お昼に行ってもお客さんが少ないことが多かったですね。これは不景気もありましょうが、人々の心にゆとりがなくなったのではないでしょうか。
いつもDM製作を手伝ってもらっているデザイン会社の社員は隣のローソンの弁当や惣菜を食ってるけど、そんなんでいい仕事出来るんかよと思います。心が冷~っとします。やっぱり夢を売る仕事ですからね。
木工家も同じ。食べることをおろそかには出来ません。
飲み会以外、正月はずっと仕事をしていた。
私は遊ばないと仕事が出来ない性分なので土曜日から海に出かけました。
昼に着きましたが折れ方は良くない。
新年の挨拶をしようにも誰もいません。寒いからな。
それでも待てばこのような波も来ます。
1ラウンドやって幕の内弁当等を食す。
浮島現象。
暇なので鳥を撮影。名は分かりません。
空にもいた。
夕方もう1ラウンドやって体が冷え切る。
中村の銭湯「中村温泉」で普通に戻しました。
「大漁寿司」でミンク鯨の煮物。激旨でした。
結局、握りも注文して就眠準備完了。
四万十川の赤鉄橋の下が宿泊地でした。
本物のホームレスやな。
今朝の入野松原はブレイクしていませんでした。
リフレッシュしたけど年寄りには寒さがこたえます。
面倒事が片付いたので、午後から海に行くつもりでしたが、冷たい北西がビュービュー吹き出したので止めました。北西が吹くと波はない。
先日、県営プールに行った時の話です。
男子用乾燥室は6畳弱の広さで、入り口の周囲がコの字型に一段高くなっています。私はそこで腹筋やらストレッチをしてから泳ぎます。
その時は、入ったら60過ぎと思われるオッサンが一人いて、一方のベンチに濡れたゴーグルやタオルを置いて、自分は反対側で体操をしているのです。完全に独り占め状態です。詰んだ!
私は仕方なく簡単にイチローみたいに又割りだけしてそそくさと逃げ出しました。
別に、弩つき上げても良かったのですが、このオッサンもう変わらんじゃろ。
こういう人は100%公務員です。間違いない!
前にも書きましたが、数学の集合論で言えば、公務員の全てがこうではありませんが、こういうことをするのは間違いなく公務員です。
モンモンをラッシュガードで隠したヤクザも来ますが、ずっとずっとまともです。
前に通っていたピープルスイミングで男子用にたった2つしかないシャワールームで20分もかけて上から下まで綺麗にしていたのも矢張り公務員でした。そもそも、月額¥5000のスポーツジムにシャンプーやら石鹸を持ち込むのは間違いじゃろ。
公務員ネタはきりがないのでこの辺で止めておきます。
安部政権の下では公務員まだまだ安泰かもしれませんね。でも、人間として大事なものを失っていると思います。
*お客さんの中で公務員の方がいたらすみません。あなただけは特別だと思います・・・・・このように民間は大変なのですよ。
木工旋盤も10年を過ぎ、回転数が不安定に上下するようになったのでインバーターの交換を試みました。
使えないこともないですが、大きなものを回すには不安です。
10月に注文したら、その型番はメーカーにも在庫がないので発注するとの事。暮れに届くも大きさが全然違うじゃんか!
まず取り出しに苦労する。なぜこれほど整備性が悪いのか不明です。
その前に、前のインバーターに入力してあるデーターを書き出します。
これで半分。裏にもギッシリ。
写真を撮って結線の位置を記録します。
ここからが大変でした。
自動鉋の時はスムーズに出来たのに、どうしても作動不良。
メーカーの相談室に電話しても要領を得ません。
どっか壊したのかな?
現場に聞いたほうが早いかもと思い、四国販売に電話するも??・・・・困り果てる。
するとメーカーから電話が・・・・・・
きっと販売店に「オメ~ら、ちゃんと始末付けや!」と言われたのだと思います。
今度の方は親切で分かり易く、設定を細かくチェックしてくれました。
電話でやり取りすること20分。無事復帰。有難うございます!
前のプログラムでは加減速の設定が出来ない仕様になっていたとかで・・・・・・止まらんはずじゃな。実は買ったばかりの時、知り合いのビックマークはビシビシ止まるのに、俺のは止まらん。その時も、相談室に電話しましたが、設定を変えても変化なしで諦めていました。
加減速のプログラムも教えてもらいました。オー!ずっと使いやすくなった。
でも、加減速が早過ぎると機械にもインバーターにも負担がかかると思います。
ベニアを使って簡単に取り出せるようにしました。
丸二日ただ働きでしたが、インバーターの知識は増しました。
木工家は電気屋さんもしなくてはなりません。
今日の相談員さんには金一封送りたいところです。なんでも、最後は人ですね。
*ネットでは修理ショップもありますが、どうなんですか?と聞いたところ、容量の大きな高価なものは意味があるけど、小さなものは買い替えが良い、とのことでした。
昨年の話で申し訳ありませんが、阿蘇で泊まった温泉宿です。
滞在中は始終ガスっていた。
急に思い立って、前夜の食堂にあった“るるぶ”で見つけた宿。
朝8時に着いて、部屋はまだ空いてないので、温泉に入って待ちました。
奥に見えるのは湯治客用の自炊の部屋か?
本来なら阿蘇の山並みが見えるはずです。
「部屋空きましたけど。」
「その前に、腹減ったんですけど。」
「お昼はAランチならすぐ出来ますが。」
自家製豆腐の餡かけが前菜で出て、汁と飯が出て、デザートと珈琲も付いて¥1500はおかしいじゃろ。しかも、ホテルなんかの作り置きした懐石とは違います。ビックリ!よい職人がいるな。
風呂はいくつかありますが、ここ「すずめの湯」は炭酸?がポコポコ湧いて耳でも楽しめます。
混浴ですけどお婆さんしか来ません。
建物は年季が入っています。
晩飯は「囲炉裏焼き」をチョイス。
野趣あふれる造りですが下品ではない。
酒飲みは結局高くつくな。まあ、たまには良いじゃろ。
やっぱりデザートも出た。シャーベットはしっかりした味付け。
宿の方は元々湯治場だったせいか、商売っ気はなくて気持ちが良い。しかも、サービスは十分です。部屋が古いせいか料金もリーズナブル。でも、昼食って、酒飲んで、土産も買ったら2万円くらいにはなります。
なんとのう、「千と千尋の神隠し」を髣髴させます。持っていた本が坂東眞砂子のホラーだったので余計にはまりました。腰痛も随分改善したしな。
今年は3泊はしたい。
温泉宿・お一人様事情 : 宿には私と同年輩の男が二人おりました。
一人は福岡から。自炊の部屋に泊まって、周辺を散策しながら2週間滞在するという。仕事は一応リタイヤしたそうです。ここは泉質が良いと言っておられました。
もう一人は東京のデザイン関係。1週間ほどだそう。夜、食堂で見かけた時は、猪鍋コースを一人で悠々と食べていました。
24時間滞在しただけでしたが、異次元の世界のようでした。海外旅行もいいけど、日本も棄てたもんじゃない。
昨日は土佐校53回生の合同同窓会であった。
360名中100名ほどが参加。物故者10人に黙祷が捧げられました。
O谷先生の「1916年に乾杯!」の音頭で爆笑。
向かいの部屋は大手前高校の同窓会。受付の女の子に聞くと25歳だそう。どちらかといえばオジイばかりのこっちよりも、そちらに参加したかった。
流石に卒業して40年近く経つと誰だったか分からない方もいらっしゃいます。
「おい、さっき話してたの誰や?」
「俺もよく分からないまま話を合わしていた。」
始まりは3時。昼飯の後なので料理は残る。2次会で腹が減って注文するという効率の悪さ。
3次会は一人で「エスペランサ」へ。
9時ごろ店を出ると、「アートキャンプ」のスタッフとバッタリ。
次の店に付き合おうと、しばらく歩きましたが・・・・・・・これはもうイカン!
それでも二日酔いでした。
でも、今日は仕事も少しした。
「ブログ楽しく見ている。」と言ったY田君、たまには家具も買わんといかんぞね。
初夢は元旦の晩に見たものだという。
元旦の明け方、犬・モモちゃんの夢を見た。
草原でに丸い小さな杭が立っていて、だんだんとモモに変化してきた。
動き出したけどネズミぐらいの大きさでつまらなかった。
モモちゃんは最後まで看取ったので、ペットロスにはなりませんでしたが、喪失感はある。
帰宅すると無条件に尻尾を振って出迎えてくれる、毛むくじゃらの生き物がいないのは淋しいです。
年老いた両親も「どうしたものかな~」と考えているようです。
今日はこれから同窓会です。
鹿児島に配達に行った折、ご主人に何処を見て帰ったら良いか訪ねたところ、「知覧特攻平和館」だという。
私は斉彬の遺産を見たかったのですが、チランという響きに興味が沸きました。
エントランスでまずビデオを見る。
知覧は台地で沖縄にも近く、特攻隊の訓練・出撃に適地だったそうです。
内部は戦闘機や遺品が飾られていますが、特に見るべきものはないように思います。
それより、おびただしい数の遺影の下にそれぞれの遺書があり、流石に皆さん泣いておられました。
勇ましいのもありますが、妹に「もう会えませんね。」なんてシンプルなのもあり、グッときます。
出撃まで宿泊した三角兵舎。
爆撃から守られるよう半地下の構造です。
優秀な若者達ですから、肉弾戦が異常であり、最早敗戦間近というのも分かっていたのではないでしょうか。
アホくさいけど、世間の手前、しょうがねえと思っていたのではないでしょうか。当時は国民も異常な状態でしたからね。
日本人には「欲しがりません、勝つまでは。」なんてマゾヒスティックな所がありますからね。その変態の代表がアベちゃんです。
知覧は武家屋敷も見所ですよ。
大晦日らしい投稿となりました。か?