毎年、花火は上手く撮れない。
飲んでるし、見るのに夢中だし。
オートでは無理なようです。
暗い中、ニコンD60のダイヤルを動かしてマニュアルで撮ってみた。
シャッタースピードは5分の1秒ぐらいがいいようだ。
遠くからだと、やっぱり望遠レンズを使った方がいいみたいです。
しかしよ~。不景気のせいか、合間に打ち上げる花火は、出来そこないの不細工なものばかりで、白ける。丸じゃなくて四角かったり。
昨年よりさらに酷い。
憶えていればな。
今回は、膝痛で盛り上がらなかったから、写真が撮れた。
先日納品した箱、結び方が間違っていました。実は、近所で本格的にお茶をやってる方にもお聞きしたんですが、マッサラの紐を出して”お手前”を拝見すると、なかなか困難なようでした。
うちにも大分桐箱はありますが、どれも一度開けると適当です。参考になりません。
ゲッ!今、知り合いから電話がありました「やまぶき」に行くことになりました。早く仕上げなければなりません。
大丸の美術画廊に行けば教えてくれるでしょうが、それも面倒じゃ。暑いし。
そこへ、輪島屋善仁の山下さんが夏の営業に来られました。教えてもらいました。
最初から間違っていました。紐はひねりません。指でつぶして形を整えます。
まあ、自己流の結び方も、それなりに完成度は高いと思いましたが・・・・・・勉強になりました。
なんだかんだで、手前の2点を購入することに。やっぱりタダは怖いですね。でも、使い易そう。
これは、輪島屋善仁の商品ではなく、亡くなった鵜島先生のお弟子さんによるものです。
自社製品だけでなく、特別念入りに仕上げられた蒔絵の品や中堅の作家の品も多少お持ちです。
私のブログの読者はインテリが多いと思われるので、これからの話は御存じでしょう。しかし美大生なんてのは、もともと勉強のできるたちではないので、漢字の読めない総理大臣を笑ってばかりもいられないのだ。
実は”貧者の一燈”大体の意味は間違ってなかったのですが”一投”だと思っていた。蜂の一刺しっていうか、我慢できずに槍や石ころでも投げつけるみたいな。大分意味も違ってる?
念のため、ネットからコピペしておきます。
「金持ちが見栄を張って寄進する多数の燈明より、貧乏人が苦しい生活の中から真心をこめて寄進する一燈のほうが尊い。物の多少より誠意のあるなし、量より質が大事ということ。アジャセ王が灯した多数の燈明は消えたが、貧乏な一老婆の灯した燈明は消えなかったという故事から」・・・・・・・・著作権は問題ないかな。
燈明の寄進は日本にもあるけど、木造建築では火事になるし、あまり馴染みがありません。その点、アジャセ王はやっぱりインドの王様で、暗い岩窟寺院なんかで盛大に灯していたんでしょうね。
アジャセ王の物語は、さらに深くなるので興味のある方は自分で調べてください。
別のキーワード「一燈銭申合」
先日、両親とNHKのニュースを見ていたら、インフルエンザに関する中継で、コンビニの店先に「マスク完売!」との貼紙が出ていた。親爺がすぐに反応して「そりゃ、売り切れ!じゃろう」と言った。
私はすぐにはピンと来なかったけど、考えてみるに確かに、
「完売」は生産者や販売者の創意工夫、努力によって達成され、ハッピーな響きがある。
「売り切れ」は上のような場合もあるが、不可抗力により突発的に在庫が底をつくというイメージじゃないでしょうか。(この件に関してはネットで調べてもイマイチでした)
昨日の高知新聞では「フランス機 生存者 絶望か」という見出しがありましたが、生存者とは絶対的な表現で絶望はあり得ないのでは?「乗員乗客 絶望か」か「生存者なしか」というのが普通の日本語ではないでしょうか。本来、範たる新聞がこんなことですから日本語も終わりやな…………うちのはいいのよ、ブログだから。
年取ると難しくなるな、ほんで嫌われるんじゃろうね。
高知市の”星ヶ丘アートヴィレッジ”で奈良の陶芸家の吉岡萬理さんの個展が始まりました。
木工にも挑戦していて、私の立場を危うくしそうです。左のオッサンは大分いい気分になっているようですが、本人はお酒は殆ど飲めません。(個人情報やけどな)
色絵ばかりでなく、シンプルな器もあります。私は鉄彩の皿を買ってきました。
早速、一杯やるのに奴豆腐を盛り付けてみました。どうもすり鉢状の皿は、平皿に比べると、応用範囲が狭く、煮物とかに限定されるようですね。そういえば平皿もあったな。
6月21日までです。
風邪も大分良くなって、昨日から仕事をしています。ふせっている間に司馬遼太郎の「功名が辻」を読みました。遅すぎか?普通は足元から勉強していくもんだろうが、どうも自分は遠くの方から、足元へというタイプらしい。
高知城には例の馬の前に立つ千代の銅像があるけれど、どうも人気がないし、私も関心がなかった。それもそのはず、山之内一豊の妻として土佐に移り住んだ時には、千代の歴史上の役目は終わっていたし、一豊の亡くなるまでの数年しかおらず、その後は京都に移り住んでいる。そんな銅像いらんぜよ。
徳川の世も山内家も3百年続いたけれど、前藩主、長曽我部の”もののふ”達は生き続け維新回天のときに仕事をしたんじゃろーね。まあ、土佐に住んでいたら誰でも、瀬戸内海見て育つよりはクレイジーになるだろうな。
草薙くんが逮捕されたっていうけど、NHKがトップで伝えることじゃないと思うんですがね。別に人様にどうこうしたわけじゃなし、芸能人だし、逮捕せんでもええがな。高知では普通にやってることなのにな。
今日はまだ本調子じゃないので、これで終わりにします。落ちがなくてすみません。
地元ネタですみませんが、高知新聞に連載している4コマ漫画「きんこん土佐日記」の村岡マサヒロさんの個展が近所のギャラリー『コパ』で開催されています。25日(水)まで。
この漫画は、地方紙としてはズ抜けています。いや、全国紙と比べても遜色ないどころか、爽やかさでは上です。
今回の展示はショボイけど、ご本人が常駐しているというサービスぶりです。エライ!! お茶まで入れてくれました。
「きんこん土佐日記」の短編は全国版の月刊誌にも1年半にわたって掲載されたそうですが、土佐弁がイマイチ理解されなかったことも多かったそうです。
毎日、はずれのない漫画を描く村岡さんですが、どうもここんとこ低調です。そのことを言うと「ここに詰めておりまして~」とのこと。なるほど~!!まあ、ファンサービスも大事ですな。
はじめてお目にかかりましたが、家がごく近所なので一緒に飲みに行きたいもんですね。
目はいいと思っています。視力は悪いですし、老眼も入ってます。そうじゃなくて、モノを見る目です。
高校生の時から、美術方面を志していたので、拳闘家が腕を磨くように、私も見る目を磨いてきたのです。
聞くところによると、生後間もない赤ちゃんに3か月も目隠しをすると、一生弱視か、メクラで終わるそうです。脳に”見る”という領域が発生しなくなるようです。まさか、わざわざ実験をしたわけではないでしょうが。
そんな訳で、「明きメクラ」なんていう言葉があるように、本当に見る、見えるというのは修練を積むと、積まないとでは全然違ってくるのです。
目が良くなると、文化、芸術だけではなくて、テレビを見ていても出演者の体調なんかもわかります。死病にとりつかれている人もわかります。もう、相当前ですが、NHKの松平アナ(個人的には、わりと好きなんですが)が朝のニュースに出ていて、
私が「このおっさん、相当おかしい!」と言うと、
母親が「何言いゆう。世が世なら・・・・・・etc]と怒られました。
しかし、それから一ヶ月もしないうちに、タクシーの運転手を叩いて、降板になりました。松平アナは高知にもいたことがあって、酒は大分好きなようです。
相撲の大一番なんかも、表情でおよそ勝敗はわかります。大男が裸で張り合うわけですから、取り組みの前に勝負はついています。
競馬馬なんかも、馬券を買う前に見れば、的中させる自信はあります。でも、あいつら全馬、ピクピクしてやがるからな。それに、この能力は世界平和のために使うように言われているんです。
いや~、日本の先行きは不安ですな。世界もだけど。国会もお幼稚の喧嘩をずっと続けるのかな。
昨日読み終えた、井上靖著「天平の甍」は鑑真和上が苦難の末に日本に渡るまでの話だが、和上ゆかりの寺が唐招提寺です。
そんなことを知る前から、私は唐招提寺が大好きで、一日中ゴロゴロしていたいくらいです。奈良時代の創建当時から変わってない伽藍がそういう気分にさせるのかもしれません。美大生なんてのは頭は粗末なものだが、鼻は利くのだ。(ちなみに頭はアルツハイマーで鼻は蓄膿というのが日本の政治家です)
ところで私が一昨年訪れた時、金堂はまだ解体修理中で、観光客はその様子を見ることが出来た。そこで気になったのは、作業している大工たちの緊張感のなさで、なんか”棟梁・西岡常一“の話と大分違うやんけー!!と思いました。プレハブ大工の方がまだましじゃ。生活かかっとるからな。
宮大工なんて、予算と時間がたっぷりあるだけなんかい?まあ、全部が全部じゃないでしょうが、がっかりでした。
過日、BSデジタルで唐招提寺を特集していた。実にしょうもない内容だった。登場したスタッフも妙に頼りなかったしな。屋根に新たに補強を入れたらしいけど大丈夫かな。
古寺巡礼のマイブームは続いていて、昨日は図書館で井上靖の「天平の甍」を借りてきました。
ところで、家にあった土門拳の「古寺巡礼」全5巻は、昭和59年発行のA4強の大きさのものですが、「なんだかな~!」って感じで、ずっとちぐはぐなものを感じていました。
図書館に行くと、でか過ぎて書棚に横にした「古寺巡礼」があって、家のは”廉価盤”と分かっていましたから、こりゃー豪華本じゃと、何気なく開くと全然違っていました。
まず、写真の数が倍くらいあって、家のはダイジェスト版とわかりました。しかも、ダイジェスト版は時代が新しいだけシャープですが、オリジナルは本人が念入りに校正しただけあって絵画的な雰囲気です。同じ写真でも「ヒィー!!こういうことやったんじゃー!!」てな感じです。土門は、プリントによる展覧会より出版に力を入れていたのです。正解じゃ。
家のは、彼が最後の昏睡状態に入っている時に出版されたもので、印刷技術が上がっているだけで、ひどいもんだったんです。
オリジナルを見ると納得できるし、一冊が一つの作品であることが良くわかります。居ながらにして奈良京都にいるようです。落ち着くわ。皆さんも図書館に行かれたら是非見て下さい。重いですけど。目方が。
それでも印刷されているのは、ごく一部なんでしょうが、撮りに撮ったりで、土門が「納得がいかん~!」と、一週間もたたないうちに、助手をひきつれて、寺に顔を出すと和尚さんは棒でも飲んだような顔になったそうです。
きつくて嫌な奴のイメージがありましたが、大変情熱家で面倒見も良かったそうです。凄い勉強家でもあったようです。随筆も出てますから、私もしばらく勉強できます。文章がとても平明な言葉で書かれているのも好感が持てます。
私の作ったお玉は、土門拳がその昔、奈良の骨董屋で買ってきたのを複製したものです。
*ちょっとネットで調べてみましたが、図書館にあったのも4色印刷の普及版で、オリジナルは8色印刷で桐箱に入って、当時の金額で一巻¥40万もしたそうです。売れなくて困ったらしいです。