ドタキャン考

ドタキャンという言葉は知っていたが、現実のものとして感じたのは、仕事上、有力なお客様である有閑マダム達と付き合い始めてからだ。それは、上流階級の暮らしを垣間見たような甘味な感覚でした。

貧しい山村に生まれ育った私にとって、他人との約束を破ることは「村八分」にされかねないことであって、八分の厳しさと悲惨さを目の当たりにした者にとって、絶対に避けたいことなのです。ただ、そもそも村の暮らしはシンプルでドタキャンする理由もなく、例えば、僅かな楽しみでもあり、配偶者と出会うチャンスでもある盆踊りをドタキャンする若者もいないのです。

つまり、ドタキャンは生活にゆとりが出てきて、様様な楽しみが増え、人間関係も複雑になった故のことでしょう。

実は私自身も、高校生の時、ドタキャンどころか大事な約束を連絡なしに(当時は携帯電話はなかったし)すっぽかしたことがあり、今でも心が痛みます。以来、大事な約束を反故にしたことはないように思います。

しかし、ドタキャンするなら、初めから約束しなければいいのであって、あまりにひどい人は気弱か、計画を立てる能力がないといえましょう。

当ブログには若干のフィクションが含まれます。

コメント

  1. 和彦 より:

    ドタではありませんが、本当にご迷惑をおかけしました。
    ただ、本日、2泊3日の京都旅行から帰ってきました。
    来年は京都でも「龍馬伝」の影響で、土佐の高知が脚光を浴びそうです。

  2. kira より:

    そうですか、早く仲直りしてくださいね。