取り返せぬもの。

先日、飯食いながらテレビを見ていたらニュースで四川大地震をやっていた。

親父が「地震地帯でレンガ作りだも。」と言いました。

四川地方はとても貧しいのだと思います。中国4大料理でも四川料理は安いのです。広東料理のようにうま味成分が少なく、唐辛子を使っているのです。寒いからか?実際、中国で食べると余り美味しくはない。まあ、私は好きですけど。

ほんでよ、「地震と津波の日本に原発がある方がずっと危険じゃないかい?」と言ってしまいました。

しかも、経済大国、先進国ですよ!アホやったんじゃね。我々も。

福島の事故は日本国を人間に例えれば、指3本位飛ばした感じかな。当然永遠に後遺障害は残ります。

残りの原発の処理を含めて、重い道のり、我々が負担しなくてはなりません。

それでも、政府は再稼働していくのかな?

どうも、落ちがなくてすみません。

コメント

  1. noga より:

    安全は大好きだ。神話も好きだ。安全神話作りは得意で、すぐに信じられる。広めるのもたやすい。
    我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
    だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意(本音)の人ならそうなる。
    これは、平和ボケのようなものか。

    太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
    太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
    日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
    人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

    それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
    一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
    この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

    意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
    意思のないところに解決法はない。
    意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
    それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
    自然鎮火を待つのみか。

    >親戚のじいちゃんはガ島で地獄を見てきた。
    >「あれは決して国のために尊い命を落とす姿じゃ無かった」という言葉を忘れない。
    兵卒は優秀。参謀は愚鈍。日本語脳の定めであるか。
    耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。

    不自由を常と思えば不足なし。
    座して死を待つか、それとも腹切りするか。
    私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
    安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

    わかっている、わかっている。皆、わかっている。
    ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
    十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養 (洞察力) がない。
    わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

    白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
    だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
    この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
    我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。

    http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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